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子供と一緒に育ったαシステム(執筆:SRT-101)


目次(全30話) α-7 DIGITAL登場までが揃っています!
第一回〜十回
このページに記載されている内容です。
十一回〜二十回
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第二十一回 〜三十回
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 ミノルタカメラとの出会い、現在のα-7 DIGITALまでの深く長い付き合いを執筆していただきました。

 一挙に第5話まで公開しています。
(続きはお楽しみに!)



 
   「SRT-101」さんは東京スナップの会員です。
 長い写真歴の中でどのようにカメラに接し、どのように楽しまれてきたのかが書かれています。

  現在お持ちの機材などの写真も織り込まれています。

 この文書および機材などの画像は 「SRT-101」さんのものであり、断り無く複製や転載はできませんのでご注意ください。

  記載されている内容についてのお問い合わせやご指摘などはE-mailや掲示板などでお受けしますが、ここに記載されている情報によって万が一なんらかの不利益を読者の方が被るといった場合でも責任を負うことはできませんのであらかじめご了承ください。

 写真を楽しんで いるみなさんの楽しみの一つになれば幸いです。

 
     




 

[第一回:子供撮影始まり]

 1987年(昭和62年)に、第一子が出来た。真冬の吹雪の日であった。女の子である。

 当時、私の手元あるカメラは、Minolta X-500,NewMD-Rokkor 35-135mmF3.5-4.5、NewMD-Rokkor 100-300mmF5.6、確か1983年購入だった。この35-135mmはTele端でマクロできる便利者だった。
  生まれた翌日ASA400(当時ISOとは呼ばない)を入れて、子供を撮った。子供撮影の始まりである。

 ガラス越しではうまく撮れないので、新生児室の準備室へ入れて貰い撮影した。面会時間に遅れたのと、モータードライブ+ズーム(当時はまだ珍しかった)付きのカメラの大きさに驚かれたようで、看護師さんに「こんなカメラを持ち込まれたのは初めてです」と皮肉にもとれるお言葉を頂戴した。ストロボ厳禁なのは云うまでもない。
  蛍光灯下、SS 1/15がやっとだったと思う。ASのない当時、よく撮れたものである。


[第二回:カメラとの出会い]

 シャッターとの出会いは、オリンパス・ペン。
  幼稚園の卒園式の後、親から借りて撮影した。

 3m,5mの2箇所の固定焦点があり、本来なら5m固定で撮るべき所を何故か「ピントを合わせる」必要があると勝手に思いこんでいた。ピントをいじった。当然殆どピンぼけであった。
  このカメラまだあるはずなのだが・・・。
  今中古で12,000円位する。(笑)

 Minoltaとは、1960年代末SR-1sが最初である。当時55mmF1.7が付いて38,000円位だったと思う。本当はSR-T101が欲しかったが、ボディだけで同じ価格位したと思う。(このうらみもあってHNがこの名となっている)。まだまだ生徒だった自分には親に買って貰う以外手はないし、当然専用でもない。親が写真をやっている友人は自分専用のNikomartを持っていた。

  友人の親は当然「F」だった。正直うらやましかった。TTLが欲しかった、特にオリンパス・ペンFTが欲しかった。
  でも、トライXがどうのネオパンがどうの月光の印画紙がどうのと、ある程度は踏み込んだ。しかし、所詮生徒時代、むしろ、オーディオに走った。

  でも、大阪万博や修学旅行で初めてのカラー撮影と行事毎には撮っていた。機材はMC-Rokkor 135mmF3.5が増えただけであった。思い出すのは、修学旅行専用列車内でシャッター速度をフラッシュ同調にするのを忘れて左1/3が真っ黒になった。逆に幸いして、あこがれの同級生だけをきれいに撮れたのが、今となっては懐かしい。


[第三回:MF時代]

 さて、時間を戻して約一ヶ月後子供と共に自宅に帰った。両家の親からも「ストロボ厳禁」のお言葉。3.5は暗かった。この頃、子供と一緒に畳に寝転がってよく撮った。相手が動かないので楽である。ピントをしっかり合わせて、と余裕もあった。

 そんな矢先、親に「寝返りした」と伝えると、すぐにビデオカメラが届いた。初孫なので気持ちもわかる。「毎日ビデオ撮って毎週持ってきなさい」が条件であった。すこし、カメラから離れた。

 半年が過ぎ、乳幼児水泳教室に入会した。母親と子供でプールへドボンである。私はガラス越しの見学席。ビデオはパンフォーカスにして三脚に乗って貰った。回しっぱなしである。


  そして、カメラが復活した。
  25mプールと云えどプールサイドの距離もある。手前にいるときは100mmもあれば十分いけるが、25m+α先では300mmが必要であった。100-300mmは手元にあったがF5.6、またレンズの暗さに泣かされた。ちょうどこの頃KodakからSA1000が発売された。1/30位で切れた。よく使った。
  被写体ボケも多々あったが毎回36枚撮り1本ペースだった。屋外でも河原でちょっと撮る位でまだMFでいけた。


[第四回:AF化直前]

 子供が歩き出した。走り出した。いよいよである。ちょうど7700iが発表になった。

 少し時間が戻るが、α-7000は全然興味がなかった。X-500を買ってロッコールクラブにも入会していた。7000の発表案内が来た。見学には行った。それなりにすごいと思ったが、感動はしなかった。

むしろ「金輪際Minoltaなんか知るか」と云う腹立たしさの方がまさっていたと思う。いわばX-500直後の発売で裏切られたような気持ちであった。何しろマウントが変わってしまうのである。今までのレンズが・・・。
ペンタックスも失敗したのに。でも、当時、正直よくピント外していた。

 7700iに戻って、(X-700からだが)絞り・シャッター両優先・プログラム・マニュアルとフル装備、AFは(当時)最高速・カードシステム・多分割測光・自動デーライトシンクロ等々新機能満載、その中でも何より動態予測に惹かれた。
  滑り台やブランコ、「これしかない」であった。当時「日本カメラ」のテストレポートでは、機能が多すぎて一回では紹介しきれないと異例の二ヶ月にわたっての紹介となった。「アサヒカメラ」も同様であったと思う。密かに勉強していた。

 
 

 

[第五回:AF化へ(α-7700i)]

 そんな折、家内に「この頃ピンぼけが多いわね。現像代も高いのよ」と、お小言を頂戴した。「どうも写真を撮らない人は、一発必中と思っているらしい」。普段なら「・・・と云う物は・・・。プロなんか一回の撮影で何十本何百本だぞ」と、およそピンぼけとは関係のない反論をするが、今回は千載一遇のチャンスである。「こんなカメラがあるんよ、カメラがピント合わしてくれるねん。子供が走っているところを撮れるんよ!!」

 作戦成功であった。87年末であった。今思うのは、もし購入が88年にずれ込んでいたらNikon F-801かCanon Eos-5?になっていたかもしれない。それほど87年はMinolta α-7700iの年であった。レンズ共で104,000円。


  7000から使っていらっしゃる方には恥ずかしいが、正直AFのすごさにびっくりした。一眼レフがバカチョンになった、と云う印象であった。ワインダーも内蔵しているので、Pモードにして、おまけにストロボも乗せておけば、逆光だろうがどんなシーンでもシャッター押すだけ。それで撮れる。MFからするとなんか拍子抜けした感であった 。

 

 

[第六回:7700i(AF35-105mmF3.5-4.5)]

  αレンズは、当然のようにAF35-105mmF3.5-4.5がスタートである。
  Minoltaが初めてプラスチックレンズを入れた玉と思う。残念ながら、このレンズはもう一つであった。
  7700iは私にとって初めてのプログラムモード搭載機。プログラムラインの基本は、焦点分の1まではシャッター優先でシフトする。7700iはズームレンズでZoomの焦点距離情報によってプログラムラインもシフトしていた。

 今思うと、このプログラムに頼ったのもいけなかったのだろう。が、それなりの理由もあったと思う。なにしろ子供と一緒に遊びながらの撮影であった。
  Pモード(現在の7,7DigitalのグリーンPモードとほぼ同じ)にさえしておけば、これはこれで快適に速写できた。シャッターを押すだけである。MF機よりも楽に速くとれる。
  結果、絞り開放でのシャッターが多くなる。ASA400を入れれば少し改善するが、まだASA100を常用していた。また、レンズの色合いもMDから変わり、Minoltaらしくなくなった感である。




  プール教室はまだ続いていた。35-105mmでは全然足らない。ビデオもあるし家内の手前旧カメラは持って行けない。せめて明るくでもなっていればと思うが全くダメ。
  子供がガラスの辺に来てくれたときだけがシャッターチャンスであった。定価45,000円,購入36,000円






[第七回:第一次レンズ沼-1,(AF200mmF2.8G Apo)、大口径望遠]


  第一次レンズ沼の始まりである。狙いはAF200mmF2.8。
  当時、既にAF+ズームが主流であった。

 しかし、目的が屋内プール撮影なので何より明るさを求めた。店でもAF70-210mmF4等を進められたが「F4は暗い、ズームはもう一つ」と気にも止めなかった。
  AF80-200mmF2.8も焦点距離的には範疇であったが、190,000円は高すぎた。
時代はバブル期、サン・ニッパで背景を思いっきりぼかして撮るのが流行っていた。(実際500,000円もする300mmF2.8がかなり売れていたらしい)。AF200mmF2.8なら、x1.4テレコンバーターで280mmF4と云う手もある。迷わなかった、清水の舞台から飛び降りた。
  定価140,000,購入105,000円。初期型であり、今のようにフォーカスホールドボタンはない。

 今思うと、よくいきなりGレンズに手を出した物と思う。これから2000年までの12年間「AF80-200mmF2.8G Apo」まで、望遠と云えばこのレンズであった。

 焦点距離で200mmは当然MDの300mmには負けるが、何より明るい。プールでの被写体ブレが激減した。絞り開放で撮ってもすばらしい描写である。このレンズの写りを見たとたん、標準ズームで撮る気がしなくなった。

 また、後玉の大きさ。これには驚いた。前玉が大きいのはF2.8だから当然と訳のわかったような理屈。後玉を35-105mmと見比べた。35-105mmの後玉は親指の爪もない。200mmは35mmフィルムとほぼ同等の大きさがあった。以来「写りは後玉の大きさで決まる」と勝手な偏見を持っている。

 余談になるが、このレンズで初めて動態予測のすごさを知った。7700iは現在のαのようにAF-S,AF-Cの切替がない。SportsCardを入れるか、ピントを合わせてすぐにフレーミングをしなおす等の裏技で、AF-Cに切り替わるが、一枚目は大抵捨てゴマとなった。

 子供を15m程離れた場所からカメラに向かって走らせた。一枚目は捨てゴマ。二枚目からがすごかった。目視ではシャッター切る直前はややピンぼけ状態。それがどうだろう。合計8枚ほど切ったが全てピントが追従していた。所詮一才過ぎの子供の速度ではあるがMFでは到底無理なショットであった。
  半年後位に、確か7,000円とレンズ置きに来なさいと販売店からの電話。訳もわからず出向くとHigh Speed改造らしい。2週間ほどで帰ってきただろうか。フードにでっかいシールが貼られて帰ってきた。かっこよくなったが、HSの効果は今までもそんなに遅いとは思っていなかったので、実感としては判らなかった(笑)



  時代が先行するが七五三参りで、この玉でサンニッパ風に撮った。エクタクロームを使った。四つ切りに引き延ばして額に入れて両家へプレゼントした。今も飾って頂いている。



[第八回:第一次レンズ沼-2,(AF28mmF2)、夜祭り]

  プール以外で200mmは、長すぎて殆ど子供を撮れない。「ここにいてね、あっちから撮るから」と云っても、じっとしてくれるわけがない。さて、第二のレンズである。ここでも35-105mmの影響で、明るい単焦点が希望。Zoom全盛時代に全く逆行である。とは云うものの標準域は一応ズームがカバーしていると勝手に決めつけて50mmに興味はなかった。

 候補はAF85mmF1.4,AF100mmF2,AF28mmF2であった。85mm,100mmは50mm同様ズーム域なので落選。また、MF時代MD28mmF2.8で室内ノンストロボでイイ描写の経験もあった。結果、28mmF2となった、定価62,000円,購入46,500円。

35mmより広い画角、F2で明るい、初めての花形フード、後玉も大きい、すごく気に入った。子供撮るときに最高と思って外へ出た。近すぎた。子供の手がすぐに届く位置にカメラがある。子供は当然さわりに来る。

 夏になった。夜祭に行こうと決めた。自分が子供の時に連れて貰った記憶もある。自分の子供にも同じ記憶をと、今も続けている。いつまで付いてきてくれるか不明だが・・・。

 大きな祭りで一晩に30万人以上と大変な人混みである。小学生でも人混みに巻き込まれてしまう程だ。当然子供を抱くか肩車の覚悟がいる。カメラはあきらめようかと思った。ここでこのレンズが役に立った。7700iに28mmF2,ASA400か1000を入れておけばストロボもいらない。広角なのでブレの心配も少ない。最小コンパクトである。

 夜店の明かりで十分に撮れた。夜店の白熱球下で撮る雰囲気が実にイイ。出し物も提灯の明かりで浮かび上がる。ストロボなんか不要である。今も夜祭り・深夜の初詣にはこれ一本で行っている。






[第九回:第一次レンズ沼-3,(AF100mm,F2)、河川敷で寝転がって]



  1989年、第二子誕生である。夏の暑い日であった。また女の子であった。

 当然のように7700iでと準備を始めてと、ここで困った。(満足に)撮れるレンズがない。やむなく35-105mmF3.5-4.5で撮った。外光が入って難しい光源でもあったが、結果やはりこのレンズでは・・・だった。28mmで撮れば良かったと今でも後悔しているが、当時広角のディストーションが嫌いだった。

 この子も、まっそれなりに撮った。自分も第二子だが、どうも二人目は損である。このままではいけない。同様に頑張らねば。これがきっかけである。と云えば聞こえはイイが、ようはF2で、そろえたかった。また円形絞りはどういう物であるかに興味があっただけである。50mmは今でもそうだが、一念発起してと言うほどの価格ではない。

 当時、円形絞りを搭載していたのは、85mmF1.4とこの100mmF2のみ。当然のように100mmF2に向かった。後玉も大きい(笑)。定価60,000円,購入45,000円。
  85mmF1.4は私にとって何故か高かった。今思うと、この玉はプロの使うレンズでアマの自分には、と変な観念もあったみたいだ。

 下の子はベビーカーで、上の子と一緒に3人で散歩によく出かけた。このレンズ一本で、ちょうど良い距離である。人間の目に一番近い画角であると云う人もいる。ベビーカーと一緒に私がいる。当時3才弱の上の子の行動範囲が、ちょうどこのレンズの画角であった。

 母親が一緒の時は、私が草むらに寝ころぶ。下の子を草むらに座らせる。100mm絶好のアングルとなる。草むらの緑の背景に、子供が浮かび上がってくる。開放でも十分な描写だが、F2.8,F4位絞れると円形絞りも効いて最高の描写を見せてくれる。撮りまくった。

 一度近所のお子様を同様のシチュエーションで撮った。現像が上がってくるとイイ表情をしている。家内に「うちの子でこんな表情を」と、久しぶりにお小言を貰った。何故か他人様の子はうまく撮れる。

 この玉も七五三参りを撮った。この時はリアラだったかもしれない。同様に四つ切りに引き延ばして両家へプレゼントした。これも飾って頂いている。

 当時、子供二人とも毎年一枚は四つ切りにして両家へ、当然エビでタイである。

[第十回:第一次レンズ沼-4,(x1.4 Tele Converter Apo2)、大ホールにて]


  翌90年、上の子が幼稚園入園である。余談になるが、6月に父親参観。授業?風景は適当に撮影。但しノンストロボ。若い女性教師を窓の外から200mmでバストアップで撮った。教室の白壁がレフとなり半逆光で良い感じで撮れた。現像後、家内の云ったことは皆さんのご想像にお任せする。

 7月初めての七夕音楽祭、幼稚園なので、そう広くない講堂。他の保護者は着席しているのに私一人、席には着かず最後部で立ち見でかまえる。例によってビデオは三脚の上。

 話は脱線するが、当時のビデオカメラも今のように小型軽量ではない。当然アナログである。ベストセラーとなった8mmビデオ(SONYのTR-55)登場の前でVHS-Cが普及し始めた頃である。2年前から使っている我が家は一体型ではあるがフルサイズのVHS。
  肩担ぎ式で相当重いが、画像は安定している。体が三脚なので当然ではあるが・・。今もテレビでプロが担いでいる姿と一緒である。(重量・性能全然違うが)。この最後部の立ち見撮影、以降この幼稚園の撮影定番になった。行くたびに三脚が増えてきた。

 さて、写真に戻そう。この撮影はAF200mmF2.8+ストロボ5200iが役に立った。GN52で光量十分だが、むしろ舞台雰囲気も残したい。200mmを開放で舞台光とのシンクロで撮った。入園して3ヶ月でこんな事が出来るようになったかと思うと、ファインダーを覗く目が涙で曇った。

 秋の運動会、詳しく書けばキリがないが、ここもAF200mmF2.8が役だった。スナップ用に久しぶりにX-500+35-135mmも持参。砂埃多くレンズ交換不適と判断。結局ビデオと両立できず親や兄に応援を求めた。

 さて、いよいよ本題、冬に2000人収容の大ホールに出ることとなった。複数の幼稚園との合同発表会である。観客席は自由席であるとのこと。このホール、私は高校時代クラブの関係で何故か裏までよく知っていた。どこから狙うか、ちょっと考えた。

 1階席は前の人の頭でダメ。一階最前列でも舞台上で子供が後列だと見えなくなる。1階最後部でアルミバッグを脚立代わりにとも思ったが距離がありすぎる上に三脚必須となってくる。ベストは(俯瞰が強くなるが)2階席最前列と決定。ストロボは届かないが、むしろ雰囲気を大事にノンストロボで撮りたい。また、最前列だと手すりを三脚代わりに使える。

 問題は200mmでは足りない。プールの距離ぐらいであると思い出し、テレコンで280mmに。F4なら十分いける自信があった。プール撮影で苦労した甲斐があった。定価50,000円,購入35,000円。

 さて、当日。一階席からは届きもしない小型ストロボの嵐。「そんなモンで撮れるかー」と悦に浸りながら、こっちは二階席からノンストロボ。1/30から1/60位で切れた。勿論ASA1000である。手すり三脚のおかげもあって、殆どブレもなかった。

 写りは、さすが純正のテレコン。200mm時と同様の描写で、ヌケがイイ。開放で十分に描写してくれた。同級の子も撮ったので後日差し上げた。「家はストロボで狙いましたが、ブレてたり、真っ黒になっていたりと散々でした。やはりカメラの差かなぁ」との感想。事前の用意・レンズの違いは認められなかった。


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